ビームスの前身は、1976年に創業した輸入衣料品や雑貨を販売するセレクトショップであった。現在は、ビームスを中心に多くのオリジナルファッションブランドを運営している総合アパレル企業として活躍している。
 創業者の設楽悦三氏は、重松理氏を店長として1976年、原宿に6坪の洋品店「AMERICAN LIFE SHOP BEAMS」を開業する。同店はアメリカ西海岸のカジュアル衣料を直輸入して大成功を収め、1977年には2号店を渋谷のファイヤー通りに出店した。この時期、平凡出版(現マガジンハウス)とコラボレーションを発展させていく上で、創業者の長男である設楽洋氏は、当時電通に勤務していたが、『ポパイ』の編集者達とビームズを通じて交流を深めていく。ビームズは、『ポパイ』を通じて流行のアメリカファッションを直輸入し、『ポパイ』誌面ではビームスのファッションを紹介するというネットワークを構築していった。そのネットワークが、ビームスを時代の先端へと押し広げていった。
 1983年、設楽洋氏は、電通を退職するやビームスの専務取締役としてマーケティングを担当する。一方で、創業期から店長を務めていた重松氏は常務取締役としてバイヤー達を統轄し、新たなレーベルを次々に立ち上げていく。1989年にはホンダと組んで鈴鹿の8時間耐久レースに出場。チーム・ビームズは、初出場にもかかわらず初優勝するという快挙を成し遂げた。しかしこの翌日、重松氏ら幹部を筆頭に社員約30人が一斉に辞職する。そして、重松氏は、ワールドをスポンサーとして新たにビームスと競合するセレクトショップ「ユナイテッドアローズ」を創業する。
 この大量の辞職によってビームスは、一時大混乱に陥ったが、松山両三氏や南馬越一義氏等の若いバイヤーを抜擢して、この苦境を発展の足掛かりとして乗り越えていく。また世界文化社の『ビギン』との間に密接な関係を構築し、同誌が頻繁にビームスの取り扱い商品を紹介したことでビームスは更に売り上げを増やした。その結果、ビームスの会社規模は更に大きく拡大し2007年3月には、国内74店舗、香港と台湾を含める海外6店舗を所有する、大手アパレル企業に成長していった。 

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